他に流されない心

TVCMなどを見たり、百貨店に並んでいるのを見てもわかるように、
ランドセルが多彩だ。
僕が小学生の頃は女子は赤、男子は鄢、誰も疑問を持たず習慣に従っていて、
僕のような変な人間だけが緑の御洒落ランドセルだった。
いまやどんなランドセルを背負おうとも埋没するであろう。
登校中の小学生の群れに遭遇するとピンク・水色・茶色・紫は当たり前、
装飾豊かで縁取りが御洒落だ。
皆が御洒落で目立つ子がいない。
似た事例がある。
皆が茶髪にして埋没していた時代がつい最近まであった。
(馬鹿みたいに皆が髪をウンコ色に染めていた)
こういう現象をよく考えねばならない。
御洒落とは他との違いを誇示するものである。
それがどのような転倒を生じたのか御洒落を埋没の道具にする者がいる。
特に女子に多い。
「個性」と主張して茶髪を正当化し「埋没」していった、わけのわからなさ。
こういう「個性」は群れの中で安心したい心である。
常に群れに迎合する志向性を個性とは言わない。
学校教育の「個性の伸長」はそんなものを育てようというわけではなかろう。
「個性」とは自らの内に耳を傾ける力である。
99人が揃いの主張をしようとも、
自らの考えに従って1人正しいと思うことを言える力である。
皆が御洒落ランドセルを背負っていたら、
「ランドセルを背負わないで行こう」という発想が「個性」である。


祝日でも大学は授業がある。
朝ドラを見終わって、ウドウさんとイノッチが現れなかったから、
世間は休日なのだと悲しくなった。
祝日に登校するのは癪だが、
通常よりはノンビリとした空気が漂っていたから悪くはない。

新聞部に投稿が無い。まだまだ認知されていない。

模様替え。万年床の向きを変えた。
散らかっている部屋。
集めた資料の整理の仕方がわからない。さっさと読めばいいんじゃない。