求めすぎないように。  肩凝り対策実施中

夕方、大学を出ようと裏門に近づくと、どこからともなくピアノの音が聞こえてくる。
ふと立ち止まって辿ってみると、どうやら道を隔てた民家から聞こえるようだ。
聞こえる場所の限られて、ほんの一瞬で通り過ぎる。
何を演奏しているかもわからない。
ただ、子どもが練習しているようなたどたどしい感じが受け取られた。
その民家に何者が住むかを全く知らないが、僕は無条件に女の子を想像している。
夕方、小学校から帰宅した女の子が、
少し高い椅子に座って足をプラプラさせながらピアノを弾いている。
この想像は何だろうか。
なぜ僕は男の子を想像しないのか。
興味があるのは、女性が今日の僕のような経験をして、どちらの性別を想像するか。
果たしてピアノには女の子という社会的イメージは付属しているのだろうか。
ピアノを弾く男の子は少なくない。僕もその一人であったことはある(今は全く弾けない)。
ただ、ピアノを弾く男の子より、ピアノを弾く女の子を僕は好く。
あのたどたどしてく愛らしい音色の持ち主が、女の子であればいいなぁ、と思っているのだろう。
僕が抱いたような想像は社会的要請の萌芽かもしれない。
もっと影響力のある立場、例えば人の親や学校の先生などになれば、
今日の想像の源となった気持ちが、大きく人の人生を左右することになる。
人は生きている限り、何らかの社会的要請に応えなければならないが、要請とは一つではない。
幼い者にとって庇護者からの要請は、とても大きな重圧であるが、
社会は無限に広がっているのであり、どのような人生を辿ろうとも何らかの要請に応え得る。
大人たる者、要請が強制に至らないように、心に一つのストッパーを持っておきたい。


新聞部第一回編集会議。


かつて高野山大学に「文献学方法論」があったと2日前に聞いた。
どうやら僕が受けている水曜5限のT先生の授業が、以前そういう名前だったようだ。
これがとても楽しい授業。おすすめ。