バテたとは言いません。

バテたとは言いません。なんか股関節が痛いけれど。
バテたとは言いません。胃が食べ物を受け付けないけれど。
バテたとは言いません。楽しかったから。(くさすぎ)

放課後子ども教室に参加しました。子ども側として。
そうなんです。実は子ども側のつもりで参加していたのです。
だからドッヂボールをした時も大人対子どもで、子どもチームに居りました。

そうは言っても嫌なもので、
小さなお友達のことを観察対象にしている自分も居りました。
大人と子どもってなんですか?どう違うんですか?
僕は自分の中に子どもであることを失った人が嫌いです。
だから僕は自分の中に嫌いな部分があります。
可愛い子どもに癒されました。
でも子どもは子どもに癒されません。
遊んでいても真剣に遊びます。
自分のヤリたい遊びが儘ならずに愚痴をこぼします。
そこが彼らの真剣に生きている社会だからです。
どのように彼らに接したら良いか迷いました。
「うん、うん」とやさしく愚痴を聞いてやればよいのか。
自分の知っている対処法を教えてやればよいのか。
放課後子ども教室に参加する大学生のお兄さんお姉さんは、
どのような立場なのか。彼らの人生に多少の影響を与えるべきなのか、
影響など考えない無責任さで目一杯楽しめばよいのか。
言葉遣いが悪く暴力的な子に叱るべきだったのか。
僕は社会一般の考え方として他の子の方が可愛いからその子を避けた。
きっとそれは教育者的な考え方ではない。
教育者の難しさを感じた。妥協は許されない。
言葉遣いが悪く暴力的な子こそ導かねばならないのだから。
面倒くさいで逃れられない立場があるのだ。
もっとも逃れてはならないのは親だが。

僕は面倒くさい友達から逃げました。
ごめんなさい。
罪悪感があります。
僕は関わりたくないと思いましたが、
その子は他の子と仲良くしていたようなので心配することは無いのかも知れません。

陳腐な言葉だと思っていましたが、この願いに実感を持って言えます。
今日同じ時を過ごした全ての友達へ
「愛される人になって欲しい」