病気と差別

差別はいけません、
という単純な人権教育で満足してよい年頃ではないから、
人権に対する意識を自分で高める努力をしなければ。

ノロに罹った学生が復帰したとき、
近付くことを恐れてしまう。
自分が病になることを恐れているのである。
病に罹ることを恐れることは当たり前のことであるが、
この警戒がどこまで許されるのかということは、
差別問題を考える上で重要なことだということに気づいた。
恐怖の度合いというのは等しいものではない。
即ち警戒の度合いも人によって違う。
それは内面に抱えるものの違いなのだが…。

自分を守るための警戒は許されるはずである。
それが差別につながることは許されない。
差別は差別する側の無知無理解によるとされるが、
そう単純でもなさそうだ。
つまり差別せざるを得ない心の弱さを抱えているかもしれない。
差別はいけない、ということは当たり前に認識した上で、
差別がどういうものであるかを僕は改めてもう少し考えてみる必要がある。