名前

図書館の閲覧室に本学の先生方の著作が並んでいる。
先生ごとに顔写真と名前の入った札で分けて置かれているのだが、
ある先生の名前が間違えて書かれている。
僕は気付いてしまったから、図書館の人に言うべきか。
でもクレーマーみたいに思われたくない。
でも知っていながら放置しておくのは、その先生に対して失礼だとも思う。
その間違いは本来「圭」である文字を「桂」と書いているのだ。
本学の先生で名前に「圭」の字が含まれる方は2名おられるのだが、
お一方は正しく「圭」と表記されている。
それなのにどうして、この方の名前を間違えてしまうのか。
名前を間違えるというのはどうしてこんなに悲しい気持ちになるのか。
同朋にも「上(かみ)」を「かん」と呼ばれたり、
「河(かわ)」を「こう」と呼ばれてしまう人達がいるが、
彼らが間違えて呼ばれたとき、
(あぁ、今どんな表情をしているのだろう)
と、いちいち気になってしまう。
名前は大切だ。その人を認識するための大きなひとつの要素だ。
名前の響きと込められた意味にどれだけの愛があるだろうか。
それを思うと、いくら大学の先生が色々な大学でたくさんの学生を受け持っているとしても、
教育者である以上、学生を理解するための第一段階である名前ぐらいは間違えないでほしいと思う。
だけど、人である以上間違えることもまた仕方がないと思う。
だから僕はどうしても許したくなってしまう。
だから僕は今日、F先生の名前を間違えていることを図書館の人に言えなかったのである。