チャラチャラしやがって

髪を染めることについて。
茶髪の僧侶をどう思うか、ということが今日話題に上った。
社会が求める職業的イメージに合致していないから却下だ。
髪を染めるようなチャラい人間に生き死にの相談なんかしたくない。
子どもたちが髪を染めることをどう思うか。
これも子どもらしいイメージに合致しないから駄目だ。
チャラい子どもはイヤだ。子どもは素直でいてほしい。
では、なぜ茶髪にチャラいイメージがついているのか。
統計的に茶髪はチャラいのだろうか。
そもそもなぜ染める。
自分の髪色を誇らしく思っていないから、そんなことができる。
つまり彼らは自己肯定感の育まれていない人である。
自己肯定感が育まれていないのは褒められていないからだ。
きっと「お前は馬鹿だ」と言われて育てられたに違いない。
馬鹿な子の方が馬鹿だと言われる確率が高いだろうから、
馬鹿でチャラい人間の方が自己肯定感が育たず、髪を染めるのだ。
だから、校則で子どもの茶髪を禁ずるのは逆効果だ。
校則を破って叱られて、けなされて、馬鹿にされて、どんどん悪循環。
子どもの頃から
「お前の髪は美しいね」
と育てたら、絶対に髪を染めない子に育つ。
ふむ。適当に書き始めたが、なんとか結論に至った。



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