弘法大師よ救い給え

空海の誕生日。
ということで昨日今日と高野町高野山は盛り上がっていた。
あくびが出る程の盛り上がりだった。
そもそもの人口が少ないし、山の上までわざわざ来る観光客の数も高が知れている。
震災で苦しんでいる人がいるのに祭りなんて、とは僕は言わない。
ただ、祭りをするなら、やることやってからにして欲しいものだ。
宗教都市というくらいなら、さっさと被災者を受け容れたらどうだろう。
のんきに宗祖の誕生日を祝っていていいのだろうか。
苦しんでいる人を救うのが宗教であろう。
死者を弔っていればいいのか?
はっきり言って今生きている人の方が大切である。
こんなんだから葬式仏教などと揶揄されるのだ。
寺と町が一体となって被災者を受け容れようとするべきなのに、
一向にそんな話を聞かない。僕の情報受信力が弱いのだろうか?
被災者を受け容れて、定着してもらえたなら人口も増えて町にも良い事ではないのだろうか?
まあ、町の詳しい事情は知らないので言い過ぎるのはやめておこう。
なにか被災者を受け容れられない理由があるのかも知れないし。

偉大さを知らずに偉大さを唱える人が偉大さを縮める。