心の処方

中西先生による法式の授業。
今日学んだことは三具足(みつぐそく)と六種供養(ろくしゅくよう)と六波羅蜜(ろっぱらみつ)。
と書いても何のことだか分からない。
三具足は華瓶(ケビョウ)・香炉(コウロ)・燭台(ショクダイ)のこと。
仏壇に花と線香と蝋燭があるのはこれのことである。
三具足と仏飯が供えられている。
この三具足と仏飯が即ち六種供養であるとのこと。
花には水と香りと姿があり、それぞれ「閼伽(アカ)」「塗香(ズコウ)」「華鬘(ケマン)」。
線香が「焼香(ショウコウ)」、仏飯は「飯食(オンジキ)」、蝋燭は「灯明(トウミョウ)」。
合わせて六種供養である。
この六種供養が何を表しているかというと六波羅蜜である。
三具足・六種供養は仏前荘厳(荘り付け)の話であるが、
六波羅蜜はそれらの由来と言えよう。
波羅蜜とは仏の智慧だそうだ。
命あるものは六道というものを輪廻するそうで、なかなか成仏は難しいようだ。
六道とは餓鬼道・修羅道・人間道・地獄道・天道・畜生道のことで、
それぞれ布施波羅蜜持戒波羅蜜・忍辱波羅蜜・精進波羅蜜・禅定波羅蜜智慧波羅蜜
という仏道修行により仏と同じ智慧が備わり、成仏に至る。
さて、六道だの輪廻だの成仏だの六波羅蜜だの、
現代人にとっては何のこっちゃと言うような意味不明さだが、
仏教の壮大過ぎる宇宙観が理解の邪魔になっているだけで、
現実に即して考えれば六波羅蜜というのは、
とても実用的な心の処方箋と言えるだろう。
生きるのが苦しいとき、その症状にあった仏の六つの智慧六波羅蜜)の一つを処方すればよかろう。

昔の人はかなり的確に人間の本質や心を理解し、分析していたことがわかる。
人間の欠点に対する対処法も出来上がっている。
しかし今の学問はもっと進んでいる。
昔の人の智慧の積み重ねが学問を進化させているのだから当然である。
苦しいとき宗教に頼らなくてもカウンセリングというものがあるし、
薬で直接どうにかすることもできるだろう。
なぜ古くからの宗教が存在し続けるのか。
現代にも十分通用する智慧が詰まっているからか。
それだけではないようだ。
意味不明な言葉、古過ぎるゆえの神秘性。
無知ゆえに妄信する人が多くいる。
高野山大学の学生は般若心経を唱える。
意味不明な言葉だ。
唱えても意味が分からない。
日本に仏教が渡来してどれだけ経つのか。
僕は言う。なぜいまだに日本語に訳されていない。
僕の年老いた祖母は言う。意味が分からないから有難い。
日本の仏教徒のどれだけが仏教の本当の有難さを知っているか。
日本の仏教は何をしてきたのか。
無知な人間を無知なまま騙してきた面があるのではないか。
高野山に住む祖母は「空海は偉い」と言う。
どう偉いかは分かっていない。
祖母は食にがめつい。人の悪口もよく言う。
仏教が何かも分かっていない。
しかし高野山に住んでるから漠然と人より御利益を多く受けていると思っている。
御利益が何かもやっぱりよく分かっていないが。
今日学んだように、仏教は智慧を与えてくれている。
素晴らしいことなのに、
漠然とした有難さに胡坐をかいて、
真の有難さを浸透させていない日本の仏教の怠慢の歴史を残念に思う。
もったいない。