言い訳野郎

家事なんか嫌いなのに家事ばかりしている連休四日目。
祖母の家に住まわせてもらっているが、
年寄り一人が住む家だったため、汚い家なのだ。
掃除する場所ならいくらでもある。
妥協できない人なら発狂するだろう。
僕は適度に怠慢なので発狂には至らないが。


さて、連休中なのだから時間はたっぷりある。

僕は学ぶことへの意欲が強くある。
しかし勉強していない。
これはなぜか。
差し迫らないとやらない。
こういう欠点が僕にあるようだ。
差し迫らないとやらないのはなぜか。
時間の配分が下手なのだろう。
物事の初め、時間は無限にあるように思われるのだ。
しかし時間の経過とともに人は時間が有限であることを思い知らされる。
そんな小さな出来事を繰り返すうちに
気が付いたら人生という時間まで差し迫っているのだろう。
細かく目標を持ち、細かく時間を制限して行動する人こそ有意義な人生を得るだろう。
そのためには「やる気」「意欲」が常時必要なのだが……。
おかしい最初に意欲はあると言ったはずなのに。
ループしてしまう。
どうやら自分の目標や時間を管理する能力は「やる気」や「意欲」とは
似て非なる力ということのようだ。
なんだろうか。
ロボットなら出来るはずだ。
僕には出来ていない。
僕には強制力が働いていない。
僕は他のものにも興味を持つ。
いや違う。ロボットを引き合いに出したのは間違いだ。
これは他人に目標を示された場合だ。
自己管理が出来る人と出来ない人を比べなければならない。
難しい。
「性格の違い」と安易に結論付けそうになる。
子供の頃からの「訓練」かもしれない。
だとするなら成長を観察して統計をとらなくては分からない。
結局いつも哲学は実証が出来ないという結論に落ち着く。
世界は論理的に出来ているから、
論理的に考えれば答えが出るはずなのに、
人は疲れたり諦めたりしてしまう。
さらに論理が一本道ならともかく、
答えが二つ以上存在したら混乱したりもする。

長々と思考に任せて書いたが、
結局は自分の怠慢を誤魔化しているだけ。
こんなこと書いてないで勉強すればいいのにね。