4-28に受けた授業(三講時)

このブログは、高野山大学の『情報処理』の授業の課題である。
週に二回、「自分の受けた授業の内容と感想」をお題に更新するというもの。
しかし、うっかり忘れるのが怖いので毎日の更新を心掛けている。
この課題、なかなか考えられていて、この課題をこなすことにより(このブログを更新することにより)、
その日受けた授業の復習が出来るという仕組みになっている。
そして、高野山大学の授業を世間に紹介する役割も果たす。
「課題」「復習」「紹介」三役を務めるブログである。
『情報処理』の藤吉先生はなかなかの策士と言えよう。

さて、今は連休中。
授業が無いので、ここに掲載しなかった授業を思い出しつつ書こう。

四月二十八日木曜日の三講時。
山脇先生による教育言論の授業。(←訂正、教育原論)
教育言論(←訂正、教育原論)の授業は教免を取得するのに必要な授業である。
子供を教育するに当たっては、
子供がどのように成長・発達するかを知っておく必要がある。
そしてこの日は「J,ピアジェの発達理論」について学んだ。
精神は六段階のプロセスで発達するとして、
第四段階まで教えてもらった。
その中に気になることがあった。
第三段階は一歳から二歳の間を指すそうだが、
この時子供は「見なくなった後でも存在し続ける」ということを知るそうだ。
これを聞いて僕はショックを受けた。
なぜなら僕は小学生の頃からこういうこと考えていたからだ。
「見てない世界は存在するのか」
一・二歳で知ることを改めて考えることは愚かだろう。
しかし僕は考えていた。
例えば映画の「トゥルーマンショー」や「マトリックス」を観て、
人とは違う関心や感想を持ったのはそのためである。
時折思うのだ。
世界は自分の脳が創り出した幻想ではないか。
目を閉じれば世界が消え、開けば幻想の続きが始まる。
人はもしかしたら脳だけの存在であり、手も足も無く、
ただ自分に幻想を見せるだけの存在ではないか、と。
だが、この授業で教わったことを鑑(かんが)みると、
どうやら世界は「見なくなった後でも存在し続ける」ということに納得がいく。
人が皆一・二歳で知るということはそれが道理に適っているからであろう。
宇宙は「道理」で成り立っているから納得がいく。

山脇先生がこのブログを見ている可能性を考えての「おべんちゃら」ではないが、
どうも先生が教えてくれる分野は僕の好きな分野と重なるようだ。
だから山脇先生のどの授業も楽しいし、いつまでも話を聞いていたいと思わせるものだ。


連休中ということで、かなり酒が入っている。
何かおかしなことを書いていても気付けないかもしれない。
だが「椿三十郎」の言うとおり酒が入ると頭の回転が良くなる気もする。
日本酒はいいものだ。
日本酒には風流という言葉も合う。
僕は酒を飲むと詩人に憧れたりする。

 酒飲んで
  ゴロ寝て外の
   花思ふ

俳句も詩の一種ということで。

三つの映画を紹介した。
トゥルーマンショー』と『マトリックス』は、
「世界と自分」という観点から観てみると面白いだろう。
椿三十郎』は黒澤映画で、単純に面白いから勧める。

酒が入っているので、
支離滅裂でごめんなさい。