見られている

本日学食で昼ごはんを食べていると、
山脇先生が近くにお座りになり、何か意味深なことを。
「榊原君は、ブログのコメント欄を見ている?」
どういうことだろう。なぜこの先生は僕のブログの存在を知っているのか。
ドキッとした。
藤吉先生から色々な先生方に情報が行っているらしい。
僕は山脇先生の素晴らしさを書いていたから良かったものの、
絶対にどんな先生に対しても悪口は書いてはいけないと自分に言い聞かせた。

さて、
山脇先生による宗教思想史の授業。
今日は旧約聖書のうち、創世記の天地創造神話について教えていただいた。
創世記の天地創造神話には他の古代神話との共通性と独自性があるとのこと。
共通性。世界の原初は大洋であると。
この共通性には感心する。古代から人は皆、海に原初を感じていたということであろう。
学問の進んだ現代では海から生命が始まったと皆が知っているが、
昔の人は何からどのように感じ取ったのか。
僕は漠然と胎内の羊水というものをイメージした。
そこから人一人の命は誕生する。どこか似ているように思う。
人というものの中には宇宙が含まれているのではないか、
そんなことを連想せずにはいられなかった。
独自性。他の神話では多くが世界は「産まれた」ものとするのに対して、
創世記では神が「つくった」ものとすると。
そこから関連して、
つくられたものなら設計図が存在しそれを読み解くことが科学の発展に繋がったと。
この授業はちょっと面白すぎる。
僕が常に考えていることに近い。
大昔も今も人間が考えることに大した違いはないと、
僕は確信している。

創世記の一節。
「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」
僕はこう思った。
(あ〜やっぱり人が神なんだな)
一部の人間には激怒されそうな感想だが、
僕はそのように思うのだ。
傲慢で言うのではない。人が神のように尊いと言うのでもない。
天地創造の意味で言うのだ。
人が世界をつくったのではないか、と少し思っている。