マシな音読であるという自己評価が覆されたら成り立たない記事

音読について。
音読は良いという。
何が良いかはよく知らないが、
ネットで「音読 効果」と検索したらゴロゴロ良いことが書いてある。
まあ、悪いことはないということはわかるのだが、
良さが僕の身によって実感されないのでよくわからない。

高野山大学でも授業で音読をさせる先生は多い。
そして音読が下手糞な学生も多い。
僕はマシな方だと思う。
スラスラと読んでやろうと思っている。
だけどスラスラと読んだとしても僕の場合頭に入っていない。
どんなにスラスラ読めても頭に入っていない。
字面を追っているだけだからだ。
記号を読んでいるのだ。記号を意味に変換していないのだ。
僕にとって音読は読解力を身に付けるものではなく、
頭良さそうなフリをするための誤魔化し術を身に付けるものなのだ。
だから学校の先生は音読がマシな学生だからといって
内容を理解していることを期待して指名してはいけない。
僕はなんにも理解していない。



教室に行っても誰も来ない。
そういえば先週「来週は休講」とおっしゃっていた気もしてきた。
でも張り出しが無い。
ようやく同じゼミのM君を捕まえたが、彼もあると思っている。
二人でもう一度教室へ行ったが誰もいない。
そしてパソコン室に移動して、
二人でボストンレッドソックスがワールドチャンピオンになる瞬間を目撃した。