鈴を転がすようなものだ、人生とは(倒置法)。

夕方、僕はボーっとしていた。
テーブルの上には携帯電話のストラップがあった。
そのストラップには小さな鈴が付いていて、
僕はボーっとしながら人差し指でその鈴を転がしていた。
ボーっとしていた僕はふと考えた。
(僕が何をしているのかわからない)
(この鈴を転がす行為にどんな意味がある)
(何とも徒なる行為だ)
(これなら人生に有意義な本でも読んだ方がマシだ)
(しかし人生に有意義とは、どのような観点からそう判断するのか)
(読書が人生に有意義であるといえるのか)
(鈴を転がす行為が人生に無意義であるといえるのか)
(鈴を転がしたからこそ、僕は今考えるのである)
(読書が有意義であるというのは見出しやすい意義があるだけに過ぎないのではないのか)
(徒なる行為に意義を見出すことが人生に有意義でないといえるのか)
(本当の意義は深層に眠っているのではないか)
(鈴を転がすような行為にこそ人生の真の意義を見出すことができるのではないか)
全く馬鹿馬鹿しいと思う。
もともと鈴を弄りながら、何故鈴を弄っているのかが疑問だったのに、
どうして人生について考えるのか。
なんとも無駄な時間だと笑ってしまう。
まるでボーっとしながら人差し指で鈴を弄んでいるかのような無駄な時間だ。