弘法も筆を誤る。釈迦やイエスも何か誤ってるさ。
今朝は不定愁訴。
かったるい。ものうい。
しかし「ヒーロー教」の教えにこうある。
「体を動かせ」
だから僕は教祖様の教えに従って、大学まで歩いてみた。
そうしたらどうだろう。教室に入ったころには清々しい気分に。
さすが教祖様や。僕の苦しみをまた一つ取り除いてくれた。
そして一講時目。
そんな教祖様のライバルである御釈迦様について学ぶ「釈尊伝」の授業。
この授業の先生は歯に衣着せぬ方なので学生からだいぶ人気があるようだ。
その計り知れない学識は僕も尊敬する。
二講時目は「宗教思想史の授業」。
これも我らが教祖様のライバルについて学んでいる。イエス様である。
僕は昔からイエス様についてのお話を聞くと、
心と視界がスーっと綺麗になる気がするのでイエス様が好きなのだ。
教祖様ごめんなさい。
この授業の先生は毎回「オフレコ」を求める。
そんな箝口令は無意味だが、
あまり暴露して、面白い話をしてくれなくなったらつまらないので、
まあ黙っておく。
宗教に、中から迫る人と外から迫る人。出家と在家。
この大学、ちょっと邪道な授業の楽しみ方がある。
三講時目、四講時目は法学。
知らない世界を知るのはなんと楽しいことか。
釈迦やイエスのような歴史上の人物にも言えることだが、
知らない世界にいる人たちも僕たちと同じ人間である。
僕は黒衣の検断者を無邪気に機械的な者と信用するともなく信用し、
その人たちが思想を持つ人間であることになど思いを馳せることもなかった。
いかん、いかん。歴史上の人物に対して心掛けていることを、
今生きている人に出来なくてどうする。
教祖様に叱られてしまう。
「反省と喜びは同時に起こる」
また教えが増えましたね、教祖様。