無事に感謝

台風一過。
「一過」という言葉は「さっと通り過ぎる」というような意味だから、
今回のゆっくりとした台風には適当でない。
台風惨禍である。

外出すると木屑葉屑が散らばっていた。
道も凹んで荒れている。

家の横は山なので崩れはしないかと、
祖母はドキドキソワソワして落ち着きがなかった。
しかし崩れることもなく通り過ぎた。

一方、同じ和歌山県でも山が崩れ家が流され人も流されたところもあるようだ。
テレビを見ると半年前の津波を思い起こさせる映像があった。
もちろん被害の大きさは比べるまでもなく小さいが、
死者が出ている。
家族が流された人の心の傷は全く同等である。

多くの人が傷付いていて、
わずかな人が傷付いていて、
それぞれの傷は同等の傷な筈なのに、
傷付いていない者は、
多くの人のもとへと駆けつける。

紛争地で苦しむ人々を救うため国境を越えて駆けつける医師がいれば、
豊かな日本において救急車でたらいまわしにあって死ぬ人もいる。

誰かを救うとき誰かを見捨てているが、
全く救わないより偉大である。
だからこの問いは捨てることにする。
僕は誰一人救わない者なのだから問う資格もない。