愛しい

国語にたずさわる者の端くれとして、
それらしいことを書いてみよう。

漢字というものは、中国からの輸入品である。
漢字は意味を表す文字であるから、
日本に入って来た時に、適当な意味の日本語を当てるわけである。
それが「訓読み」である。
「愛」を「アイ」と読むのは「音読み」であり、中国での発音を表している。
訓読みは「いとしい」である。
中国の「愛」という言葉の意味と、
日本の「いとしい」という言葉の意味とが合致したため、
そう訓読みされるようになったのである。
訓読みの面白さは意味が合致すれば認められる点である。
よって訓読みは一つではない。
「清」は「きよい」とも「さやか」とも読む。
「好」は「すき」とも「よい」とも読む。
これらは同じような意味の範囲内にあるため認められるのである。
「愛しい」は一般的に「いとしい」と読む。
しかし、これを「かなしい」と読むこともある。
日本人は「いとしい」と「かなしい」とを同じ意味の範囲に認めているのである。
今夜、僕は「かなしい」と感じた。
その時、僕の頭に浮かんだ言葉は、
「悲しい」でも「哀しい」でもなく、
紛れもなく「愛しい」だった。